2009年10月英語版「Biography(E)」「Discography(E)」更新

レクチュア

アルバン・ベルク協会主催の講演会



『実験工房』について



 先日、実験工房のメンバ−の一人、山口勝弘、当時、彼はヴィトリ−ヌ「飾り窓」とい う、波ガラスを重ね合わせて観る絵で、角度によって物象が微妙に様々に変化する造形によって、絵画的視点を新しい発想から眺めることが出来るということをデモンストレイトした造形家でしたが、その後、映像マスメディアの分野で目覚ましい活躍をすることになった人物でした。その山口勝弘君のお祝いの会で、昔の実験工房の照明の今井直次、作曲家の福島和夫などに何年ぶりかであって話をしたら、そのなかで、『実験工房』のことを一度全て正確に記録するために話し合う必要がある。「みんなそれぞれ言っていることが違うし、記憶もそれぞれ違うんだなあ」ということを話してました。



 確かに、記憶は人それぞれによって、その時の受け取り方が異なるし、また時間の経過によって、美化されることが往々にあることです。またその上、困ったことに、私は過ぎ去ったこと、終わったことは、たちどころに忘れてしまう癖があって、どうにもなりません。日付に関してなどは、全くその時点で書き留めておかないかぎりだらしがないのです。

  また、プログラムやパンフレットについても、それをきちんと整理しておくというのが苦手で、これは大事だと思うとそれを何処かに置いてしまい、その上にまた違う資料が載ったりして、手紙も原稿も判らなくなるのは、毎度のことです。



  それで、実験工房についても、最初に何か手掛かりになるものをと思って、数年前に、目黒美術館で催された展覧会のことを思い出しました。

  『1953年、ライトアップ、新しい戦後美術像が見えてきた』と言う展覧会。そのタイトルに、4)実験工房、詩的実験の精神を生きる、という項目で実験工房のことが取り上げられたことを思い出しました。

  またその後、96年6月に浜離宮の朝日ホ−ルで、目黒美術館、朝日新聞社、多摩美術大学の主催で、『再現・1950年代の冒険、実験工房コンサ−ト』が開催されたので、そのプログラムを探したら見つかったわけです。



  プログラムには確かに「1953年ライトアップ−新しい戦後美術像が見えてきた」展 、『再現・1950年代の冒険』と言う副題が記されていて、実験工房コンサ−トのプログラムがみつかりました。

  そのプログラムの後ろのペ−ジに実験工房音楽関連事項年譜があって、それによれば、1951年9月瀧口修造が名称を提案した「実験工房」が発足、とあります。



  最初に、11月にピカソ祭『生きる悦び』(実験工房第一回発表会)とありましたが、これには私は参加していません。

  次が、1952年1月、実験工房第2回発表会『現代音楽演奏会』で、メシアン、 バルト−クほか海外作曲家の作品を紹介で、この時から私は参加しています。



  1952年8月に実験工房第4回発表会・園田高弘渡欧記念『現代作品演奏会』武満徹「遮られない休息」ほか、とあるのですが、後なにがあったがプログラムが見つからず判らない。

  53年9月の実験工房第5回発表会の全メンバ−によるインタ−メディア的マニフェスト、及び54年の実験工房『シェ−ンベルク作品演奏会』「月に憑かれたピエロ」他5曲。いずれも日本初演。

  55年の7月、実験工房『室内楽作品演奏会』佐藤慶次郎「5つの短詩」、鈴木博義「メタモルフォ−ズ」、湯浅譲二「7人の奏者のためのプロジェクション。

  56年実験工房主催『ミュ−ジック・コンクレ−ト/電子音楽オ−ディション』鈴木博義「オ−ト・スライド・試験飛行家W・S氏の眼の冒険のための音楽」等の会には不在で参加していない。

  1957年6月になって、再び『実験工房ピアノ作品発表会』と銘打って、湯浅譲二「内触覚的宇宙」鈴木博義「2つのピアノ曲」ほかの初演をしていることになっています。




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  これを探している間に、古い第二回目の実験工房演奏会の貴重なプログラムと、チラシが見つかったりしました。

  それにはもっと詳細な文が書いてあるので読んでみます。



昭和27年1月20日午後2時 女子学院講堂

作曲家はオリヴィエ・メシアン、アロン・コ−プランド、ベラ・バルト−ク、ノ−マン・デロ・ジョイオ

演奏者はヴァイオリン  岩淵龍太郎

    クラリネット    大橋幸夫

    チェロ      堀江 泰

    ピアノ      園田高弘

会員券¥100



プログラムの裏に、早坂文雄の豫言と饗宴

   瀧口修造の、實験の精神について、の文章が記載されています。

  〔朗読〕



  他にEXPERIMENTAL WORKSHOP,S 5TH EXHIBTI ONというプログラムも見つかって、湯浅譲二、福島和夫、武満徹、鈴木博義等の作品、構成 秋山邦晴、山口勝弘、北代省三等で、照明と写真などを、北代省三、大辻清司、今井直次でしています。

  そのプログラムの後ろにア−ノルド・シェ−ンベルク、実験工房第三回現代作品演奏会という予告があって、シェ−ンベルクの「三つのピアノ曲作品11」「六つのピアノ曲作品19」「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジ−作品47」「木管五重奏曲作品
26」「ピエロ・リュネ−ル作品21」の予告があります。



  それから察すると、実験工房は工房の発表会と現代音楽演奏とをまちまちに開催していたようで、それで演奏者の話と、実験工房のメンバ−の記憶も食い違っていることにも成ったのでしょう。

  私の記憶でも、メシアンの「ア−メンの幻影」を松浦豊明君と苦心して演奏した記録は見当たらないし、アロン・コ−プランドのピアノ・ソナタやヴァリエ−ションは演奏したようにも思っているのですが。



  最近になって発売された、瀧口修造 コレクション瀧口修造 第7巻 みすず書房刊行の本によると、そのなかに、「実験工房、アンデパンダン」という項目で実験工房のことが上げられていて、それには先のプログラムと同文のもの、実験工房の精神についてが掲載されています。

 また、座談会 メシアンをめぐって

 出席者     瀧口修造 北代省三〔造形〕 園田高弘 〔音楽〕

              駒井哲郎〔造形〕 武満 徹 〔音楽〕

              山口勝弘〔造形〕 鈴木博義 〔音楽〕

              福島秀子〔造形〕 湯浅譲二 〔音楽〕

              今井直次〔造形〕 秋山邦晴 〔音楽〕

となっていて、私も若気のいたりで、大いに気を吐いています。「曰く、メシアン初期の作品、ブレリュ−ド、ア−メンの幻影、世の終わりのカルテット 忘れられし捧げもの、ト−ランガリラ交響曲などによって、宗教的な枠、語法を越えられないのではないか、というニュアンスの発言をしています。

  そのころの私は、メシアンを一生懸命譜面を読みながら、一方では奇想天外な奔放なアンドレ・ジョリベの音楽に魅力を感じていて「五つの典礼的ダンス」「ピアノ・ソナタ」「組曲・マナ」「チェロとピアノのためのノクタ−ン」「ピアノ・協奏曲」などをみていた記憶があります。



  そもそも誰から働きかけで実験工房として芸術活動をともにするようになったのか

  記憶によれば秋山邦晴でしょう。

  武満徹ではないし、湯浅譲二でもない。

  勿論のこと、詩人であり美術評論家の瀧口修造さんのような偉い人からではないし、画家の岡本太郎さんは後で、パリで親しくなったと記憶している。



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  その秋山邦晴氏とはその後ベルリンに、ある時期彼が滞在していたことがあったと思うし、パリでは、一緒にトリニテ寺院を訪問して、メシアンがミサの礼拝の間にオルガンで即興演奏して、特徴ある密集和音による幻想を展開すると、信者が拳を挙げて「何とたる音楽だ」と怒っているのを見に行った記憶もあります。その時には評論の遠山一行氏も一緒ではなかったか。というのはその頃、私はフランス語がよく喋れなかったので、その後で、オルガンを弾くところまで上がっていってメシアンに挨拶したこと、「あなたのピアノ・前奏曲」と「夜の終わりの弦楽四重奏曲」を演奏しましたと遠山氏が言ってくれたことを記憶しています。

 その時にメシアンのそばに女学生のような凄い眼鏡をかけた女性がいて、それが後のメシアン夫人、イボンヌ・ロリオさんだった。

  それから、何十年もたって、カナダのトロントでグレン・グ−ルド記念のバッハ・コンク−ルが開催されて、その審査員として招かれた時、その審査員のなかにメシアンとロリオさん二人がいて、またその話をしたら、メシアンは、あのピアノ前奏曲は「おお、私の青春だった」と云われて、後で古い作品カタログにサインをしてくれました。



  話を実験工房に戻すと、初演した武満徹氏の「遮られない休息」は現在ではその後に二部追加されて三曲になっていますが、当時は最初の一曲だけでした。

  その儚い、かぼそい、神経の張り詰めたような訴えと響きこそ、武満徹の音楽の核心であり、大分後になって付け足された断片は、少しそぐはないような気がします。

  湯浅譲二の「内触覚的宇宙」という作品は、その頃私は彼から、鼓の撥音「いょ−っ、ポンという」東洋的空間の衝撃について、ある時間が経過して、緊張が高まってゆく過程で発せられる響きという説明に、いたく感動した記憶があります。西洋音楽とはまったく次元を異にした、時間の経過をそのモティ−ブによって感じるようで、現在でも特別な思い入れがある曲です。



  実験工房は私の青春と共にあったし、その後それによって現代音楽、前衛芸術にも関心が湧くようになったし、違和感や拒絶感、拒否感は全く持つことがなかったことを感謝しています。

  それであればこそ、後年ドイツにゆき、ダルムシュタットやドナウエッシンゲンの現代音楽祭にもなみなみならぬ関心を持ち、その経緯をつぶさに追うことができたし、ベルリンのシュトッケンシュミット博士や、バ−デン・バ−デンのシュトロ−ベル氏、指揮者ではパウル・ヒンデミット、ヘルマン・シェルシェン、ハンス・ロスバウド、エルネスト・ブ−ル等の活動にも、注目することが出来たし、それはその後のピエ−ル・ブ−レ−フズやブルノ・マデルナなどを経て、現在のミヒャエル・ギ−レンまでにもいたっているわけです


1999年12月12日

園田高弘