園田高弘年譜
- 1928年
- 9月17日に、東京中野区で2人兄弟の長男として生まれる。6歳から父の清秀より系統立った早期音感教育を受ける。
- 1935年
- 本郷区千駄木尋常小学校(現・文京区千駄木小学校)に入学。父のはからいで、当時日本に亡命中のロシア人ピアニストで、フェルッチョ・ブゾーニの高弟、レオ・シロタの指導を受けはじめる。シロタにはこの後11年間師事する。同年12月に父親清秀が逝去。
- 1940年
- 飛び級で豊山中学校に進学。
- 1944年
- 東京音楽学校(現・東京芸術大学)本科ピアノ科に入学。豊増昇に師事。
- 1945年
- 東京大空襲で家が焼失し、本郷に移る。
- 1948年
- 東京音楽学校を卒業。5月に日本交響楽団(現・NHK交響楽団)の定期演奏会でショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏し、正式にデビュー。日比谷公会堂でもショパンの作品による3回の連続リサイタルをおこなう。
- 1952年
- 詩人の瀧口修造のもとに若い芸術家が分野を超えて集まった「実験工房」の、第2回発表会で演奏(1月)。
2月、母静子が脳溢血で亡くなる。享年49歳。
7月に渡欧。ジュネーヴからパリにでて、マルグリット・ロン女史の教えをこう。
- 1953年
- 病をえて帰国。同年12月、パリで知り合った西澤春子と結婚。
- 1954年
- 初来日したカラヤン指揮のNHK交響楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を演奏(4月)。
- 1957年
- カラヤンからの推薦状をたずさえて、ドイツへ渡る(7月)。ベルリンに居をかまえ、田中路子/ヴィクトル・デ・コーヴァ夫妻を介して知ったマネージャー、フリードリッヒ・パッシェの紹介でベルリン芸術大学の教授、ヘルムート・ロロフに師事し、個人的な助言を受ける。この年の10月にはパリのサル・ガヴォーのリサイタルでフランス・デビュー。12月にはミラノのヴェルディ音楽院のリサイタルでイタリア・デビュー。
- 1958年
- 長男英一朗誕生。
- 1959年
- 1月、ベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会にソリストとしてデビュー(ベートーヴェン協奏曲第5番)。同月、ベルリンのホッホシューレザールでドイツ・リサイタル・デビュー。また、2月にはニューヨークのタウンホールでアメリカにリサイタル・デビュー。以来ドイツを拠点にヨーロッパ各地で活発に演奏活動を続ける。
- 1960年
- 次男展弘誕生。9月、ベルリン音楽週間で、NHK交響楽団のヨーロッパ初公演にソリストとして同行(指揮:岩城宏之)。同月にミラノ・スカラ座でベートーヴェンの協奏曲第4番を演奏。
- 1961年
- 10月、イタリア放送交響楽団(チェリビダッケ指揮、ミラノ・スカラ座)でブラームスの協奏曲第2番を演奏。チェリビダッケとの出会いは、豊かな実りをもたらした。12月、ベルリンの壁が構築されたあと、南ドイツのバーデンバーデンに居を移す。
- 1964年
- 4月に、ふたたびイタリア放送交響楽団(チェリビダッケ指揮)と共演。
- 1967年
- 最初の録音(バッハ「インヴェンションとシンフォニア」、日本コロムビア)。
- 1968年
- 60年代から日本での演奏活動も増やしていたが、この年に京都市立音楽短期大学(現・京都市立芸術大学)の客員教授に就任。同大学には82年まで東京から通い、指導にあたった。同年、ベートーヴェン生誕200年を記念して、7夜連続でベートーヴェンのピアノソナタ全曲を演奏(4月〜5月、東京文化会館)。68年から69年にかけて、ベートーヴェン・ピアノソナタ全集の録音もおこなう(日本コロムビア)。
- 1971年
- 日本芸術院より芸術院賞を受賞。9月にはベルリン・フィルの定期演奏会で、ヴェルナー・テーリヒェンの協奏曲第2番を世界初演。
- 1972年
- 1月にベルリン・フィルの20世紀音楽会で諸井誠のピアノ協奏曲ヨーロッパ初演。
- 1973年
- バッハ「平均律クラヴィーア曲集」全曲録音(日本コロムビア)。2月にはミュンヘン国立歌劇場でラヴェルの協奏曲を演奏(サヴァリッシュ指揮)、3月にはマックス・レーガー生誕100年の記念演奏会で、レーガーの主要ピアノ作品のみによるリサイタルをおこなう。5月にはワルシャワ・フィル(ロヴィツキ指揮)と、ショパン協奏曲第1番、第2番を演奏。
- 1974年
- 1月にソビエトへ演奏旅行。10月にはハンブルクでふたたびサヴァリッシュと共演(サミュエル・バーバーのピアノ協奏曲)。
- 1975年
- 東ベルリン、ドレスデン、ワイマールへ演奏旅行。
- 1977年
- ベートーヴェンの没後150年を記念するドレスデン・シュターツ・カペレ(ブロムシュテット指揮)の演奏会で、ピアノ協奏曲第1番、第2番、第3番を演奏。1970年代後半から日本での演奏活動も活発になる。
11月、長年の功績に対して「モービル賞」を受賞。
- 1980年
- 芸術院会員就任。4月に山田一雄指揮東京交響楽団との共演で芸術院会員就任記念演奏会。5月に、4夜にわたる「園田高弘の世界」リサイタル。
- 1982年
- 日本各地でリサイタルを開くほか、ソビエトに演奏旅行(モスクワ、ミンスク、ピルニス、リガ)。
- 1983年
- 芸術教育企画を設立、EVICA(エヴィカ)レーベルでCDの制作を始める。3月には2回目のベートーヴェン・ソナタ全曲演奏を東京と大阪で各7夜にわたっておこない、ライブ録音もされた(エヴィカ)。
- 1994年
- ルービンシュタイン国際ピアノコンクールの審査員(テルアヴィヴ)。昭和音楽大学教授に就任。同大学では93年まで指導にあたった。演奏活動の比重をしだいに日本に移す。
- 1985年
- 国際バッハ・ピアノコンクール審査員(トロント)、ショパン国際ピアノコンクール審査員(ワルシャワ)。大分で園田高弘賞ピアノコンクールが始まる(2002年まで開催)。5月、4夜にわたるバッハ生誕300年記念演奏会(バリオホ―ル)。
- 1986年
- ルービンシュタイン国際ピアノコンクール審査員(テルアヴィヴ)。2月にはイエナ・フィル(オットマール・スイートナー指揮)、ドレスデン・シュターツ・カペレ(同指揮)、ベルリン交響楽団と共演したほか、ライプツィヒ、カールマルクスシュタット、ベルリンでリサイタル。
- 1988年
- 10月、楽壇生活50周年記念演奏会(サントリーホール)で、モーシェ・アツモン指揮東京交響楽団と共演(ブラームスのピアノ協奏曲全2曲)。
- 1989年
- ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール審査員(フォートワース)、ロン=ティボー国際コンクール審査員(パリ)。
- 1990年
- チャイコフスキー国際コンクール審査員(モスクワ)。3月には水戸芸術館オープニングコンサートでリサイタル。
- 1991年
- エリーザベト王妃国際音楽コンクール審査員(ブリュッセル)。日本各地でリサイタルのほか、7月には東京の夏音楽祭ガラ・コンサートで江藤俊哉(vn)と共演、10月にはヤマハピアノ500万台記念特別コンサート(東京芸術劇場)。
- 1992年
- バッハ「平均律クラヴィーア曲集」全曲録音(2回目、エヴィカ)。
- 1993年
- ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール審査員(フォートワース)、ミュンヘン国際音楽コンクール審査員(ミュンヘン)。
- 1994年
- この年から96年にかけて、3度目のベートーヴェン・ピアノソナタ全曲を録音(エヴィカ)。
- 1995年
- エリーザベト王妃国際音楽コンクール審査員(ブリュッセル)、11月には大分芸術祭でモスクワ管弦楽団(イーゴリ・ゴリクチン指揮)と共演。
- 1996年
- ブゾーニ国際ピアノコンクール審査員(ボルツァ―ノ)。11月には、ベートーヴェン全曲録音完成記念リサイタル(紀尾井ホール)。
- 1997年
- ベートーヴェン国際ピアノコンクール審査員(ウィーン)、国際シューベルト・ピアノコンクール審査員(ドルトムント)。第28回サントリー音楽賞受賞。この年から2000年まで、水戸芸術館で「ピアノのための公開セミナー」をおこなう。
- 1998年
- ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲ライブ録音を開始(九州交響楽団/指揮:大山平一郎、エヴィカ)。文化功労者顕彰受章。9月には、70歳記念リサイタル(サントリー大ホール)。
- 1999年
- エリーザベト王妃国際音楽コンクール審査員(ブリュッセル)、ブゾーニ国際ピアノコンクール審査員(ボルツァーノ)、国際シューベルト・ピアノコンクール審査員(ドルトムント)
- 2000年
- 3月にNHK交響楽団(ハインツ・ワルベルグ指揮)とともに九州各地で公演(ベートーヴェンの協奏曲第5番)、バッハ生誕250年記念リサイタルでパルティータ全曲を演奏(東京オペラシティコンサートホール)。
- 2001年
- オリヴィエ・メシアン・コンクール審査員(パリ)。6月には日本フィル(ヘルヴィッヒ指揮)とベートーヴェンの協奏曲第5番を、7月には九州交響楽団(大山平一郎指揮)とモーツァルトの協奏曲第21番を、10月にはHNK交響楽団定期演奏会(サヴァリッシュ指揮)でシューマンの協奏曲を演奏。12月には東京オペラシティでリサイタルをおこなう。
- 2002年
- 10月にトッパンホールで3夜にわたるベートーヴェン・ツィクルスのリサイタル。同月サントリーホールで、東京都交響楽団(小泉和裕指揮)と共演。
- 2003年
- エリーザベト王妃国際音楽コンクール審査員(ブリュッセル)、3月には大山平一郎指揮九州交響楽団とブラームスの協奏曲第2番を演奏。同月サントリーホールで一柳慧作品演奏会をおこない、4月には婦人の友100周年で秋山和慶指揮ジュニアオーケストラとリストの協奏曲第1番を演奏。同月、トッパンホールで開かれた3夜にわたるベートーヴェン・ツィクルス室内楽。10月、75歳記念リサイタル(サントリー大ホール)。
- 2004年
- 1月、トッパンホール・ニューイヤーコンサート、2月、九州交響楽団創立50周年東京公演(大山平一郎指揮、ベートーヴェン協奏曲第5番、サントリーホール)。5月、読売日本交響楽団定期演奏会(尾高忠明指揮、ブラームス協奏曲第2番)、9月、関西フィル定期演奏会(藤岡幸夫指揮、ラフマニノフ協奏曲第2番)。
10月7日、逝去。