2009年10月英語版「Biography(E)」「Discography(E)」更新

レクチュア

ベートーヴェンの愛と哀しみについて

 最初にベートーヴェンの愛と哀しみについて、少しお話しましょう。
 ベートーヴェンがどんな容貌の持ち主であったかは、残されている多くの肖像画によってある程度想像することが出来ます。

 もともと写真とは違って、肖像画というものは、描く画家の主観によって大いに誇張され、デフォルムされることが自然です。ですから画家たちは、現実ベートーヴェンをそれぞれ目の前に見ていながらも、ある時は色の黒い茶目気に満ちみちた少年時代のベートーヴェンであったり、いわゆる『不滅の恋人』の話題の頃の中期の年代のそれは、珍しくも眉目秀麗のベートーヴェンであったりしているのです。
 また一般によく知られている、音楽のアイディアを求めながら森を散策する、ベートーヴェンのあまりにも有名な、ペンを片手に五線紙を手もとに目をみはる厳めしいベートーヴェンなどの全くの創作画というのもあるし、又、晩年の厳しくもあり、孤独な寂しげなそして精神的落魄の感じのベートーヴェンというのもあるのです。
 このように、いろいろな肖像画から窺えるベートーヴェンに一つだけはっきりしていることは、彼は世間的な意味で、美男ではなかったことだけは事実です。

 それなのにベートーヴェンは女性にもてたのです。
 ベートーヴェンには人を魅了する率直で教養ある会話と、ひたむきに理想を追求する誠実さがあったがために、常に女性に非常な崇拝者がいたのです。
 こうしたベートーヴェンの人間らしい側面を最もよく表しているのが、生涯に何度も燃え上がった女性との愛と哀しみの事件です。

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 ベートーヴェンは自分の音楽を愛してくれる人には、すぐに好意を持ち、それが貴族の女性であれば、たちまちのうちに恋心に変わり、ピアノを教えたり熱心に通いつめたり、そのうち結婚を考えたり空想はどんどん膨らんだらしいのです。
 しかし大方の場合、身分の違いによりベートーヴェンは婉曲に断られ、回避され、それは常に失恋の苦い思いに終わっているのです。その都度それはベートーヴェンにとって苦しいことでした。しかしその恋が契機となって、永遠の生命を持つ音楽の傑作が生まれたことには我々は感謝するのだし、ベートーヴェンの運命に胸を打たれるのです。

 ベートーヴェンは生涯独身でしたが、始めからそれを望んでいたわけではありません。
 事実、1810年頃、年金も当てにできるほど、経済的に安定の兆しが見えた時期には喜び勇んで、結婚を真剣に考えた時もあったのです。
 ベートーヴェンの死後、彼の所有していた株券を探していた弟ヨハンは、偶然に秘密の 引き出しの奥から、ハイリゲンシュタットの遺書と、一枚の写真と、宛名のない三通の恋文を発見しました。
 その、一枚の写真はテレーゼ・ブルンシュヴィックでした。そのことにより、一躍、テレーゼがすなわちベートーヴェンの『不滅の恋人』として脚光を浴びることとなったのですが、恋文に方に宛名がないことから、永いこと推測の域を出ませんでした。

 その後、今世紀になってから突然発見されたベートーヴェンの13通の恋文によって、テレーゼの妹ジョセフィーヌの存在と、彼女こそが多分本当の『不滅の恋人』ではなかったかと騒がれたのですか、しかしこれとても、前の三通の手紙の確実な宛名と、手紙に記されたKという場所、日付の謎が解明出来ないままに、一時期ジョセフィーヌがかなり確実だと思われていながらも、決定的にはならなかったのです。

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 さて、今夜演奏される曲目は、ベートーヴェンが女性に捧げた曲ばかりです。
 最初の二つの「<幻想風ソナタ>作品27−1変ホ長調」は、リヒテンシュタイン侯爵夫人に捧げられています。彼女は当時ベートーヴェンの弟子で、ベートーヴェンのボン時代からのパトロンであったワルトシュタイン伯爵の従兄弟ヨーゼフと結婚しています。
 この作品27の1のソナタは、中期のピアノ・ソナタの新しい試みと思われる斬新な形式、楽曲は一つの楽章によって途切れることなく続くという新しい試みでした。

 次に演奏する「<幻想風ソナタ>作品27−2嬰ハ短調」は、あまりにも有名でベートーヴェンが、ジュリエッタ・グチァルディーを念頭において作曲したものとされていますが、「月光」の題名そのものは、後で詩人レルシュタープが創作したものです。
 いみじくも作品の雰囲気に相応しい題名でが、直接に作品とは関係ありません。
 思うに、ベートーヴェンの愛と悲しみは実に錯綜していてあの月光ソナタを捧げたジュリエッタ・グチァルディーは、一時、『不滅の恋人』の最有力者として取り沙汰されていたのですが、早々と不幸な結婚をして死んでしまっています。

 次に演奏する「作品78のソナタ」はテレーゼ・ブルンシュヴィックに捧げられたもので、テレーゼについても、ベートーヴェンの死後発見された三通の手紙と一緒にあったことから、その後は最も有力視されながら殆ど確証はなかったのです。
 ベートーヴェンは彼女に作品78の小さなソナタを贈り、それに対してテレーゼからは自分が銅版画から模写した彼女の等身大の肖像画を贈ったのです。それは、現在ボンのベートーヴェン博物館に保管されています。テレーゼは生涯結婚せず、86年の長寿を全うしているのです。
 ベートーヴェンは後年、人が余りに「月光」ソナタのことを持て囃すので、自分は作品78の「テレーゼ・ソナタ」の方がずっと好きだなどと公言しています。このことによっても人は長いことベートーヴェンの『不滅の恋人』はテレーゼかなと勘繰ったわけです。
 しかし、これはベートーヴェン一流の人を喰った韜晦戦術であったのでした。
 妹のジョセフィーヌ・ブルンスヴィックにしても、その後ダイム伯爵と結婚し、四年後の伯爵の突然の死去により、更にシュタケルベルグ男爵と再婚しましたが、その結婚も不幸であり彼女は42才の若さで死んでいるのです。

 次に演奏する「作品101」は、ベートーヴェンの弟子であって才色兼備の女性で、その当時はもう結婚していた、ドロテア・エルトマン男爵夫人に献呈されています。彼女につい てはベートーヴェンはその非凡な才能に高い評価を与えていたし、その友情は晩年の最後まで曇ることなく続いたといわれています。
 ベートーヴェンの世話人で信奉者のシントラーの言葉によれば、「もし彼女がいなかっ たなら、ベートーヴェンのピアノ音楽はもっと早くからヴィーンの音楽会の演奏曲目から消えていたかもしれない。」とまで言っています。
 また「彼女はベートーヴェンの最も隠れた意向をも、それがあたかも彼女の目の前で書かれたかのごとく、的確に捉えることが出来た」と云われていました。
 彼女は<幻想ソナタ>作品27、作品90、そして彼女に捧げられた作品101をよく演奏していたそうです。ということはこれらの作品、特に作品101の音楽の内容を考えてみれば、彼女とベートーヴェンとの深い魂の交流をそこに感じないわけにはゆかないのです。

 最後に演奏される「作品109のソナタ」はマクシミリアナ・ブレンターノ嬢に献呈されています。彼女はベートーヴェンのお気に入りの才媛で、晩年のベートーヴェンのところに出入りしていて、ベートーヴェンの色々のお世話もしていたようです。

 実は、ブレンターノ家はベートーヴェンと色々と関わりがあって、父親、フランツ・フォン・ブレンターノは銀行家で、ベートーヴェンの経済的相談や支援をしていたのです。
 ベートーヴェンがその頃作曲していた、荘厳ミサ曲についても出版社と交渉したりしています。その妻のアントーニエはヴィーン生まれ、ビルケンシュトック家の出で、ベートーヴェンは後でディアベルリ変奏曲を彼女に捧げています。フランツの妹、ベッティーナ・ブレンターノはゲーテとベートーヴェンと両方の友人でもありました。

 ブレンターノ一家はベートーヴェンの良き深い理解者でしたから、ベートーヴェンは娘マクシミリアーネに作品109を捧げたのです。しかしその変奏曲の一節に、自分の歌曲「遙かなる恋人を思う」から引用した旋律を忍ばせることとなったベートーヴェンの心情は極めて複雑で、「感謝の気持ちからこの作品を捧げる」と言う言葉は、本当は誰に何を伝えたかったのか、そこには慎み深いベートーヴェンの万感の思いが込められているようです。

(94年3月9日)
98年1月13日改編